■今年も福島被災地救援青年ボランティアに参加してきました(2013年5月9日)

 震災ボランティア報告
             民青同盟滋賀県委員会 佐藤耕平


福島県での被災地支援ボランティアに、滋賀から青年8名で参加してきました。民青同盟中央委員会が福島市に開設した「第6次全国青年ボランティアセンター」のよびかけにこたえ、昨年に引き続きの参加となりました。5月2日の夜に滋賀を出発し、3日と4日の二日間、フィールドワークや仮設住宅での聞き取りなど、現地で活動しました。

一日目は、南相馬市へフィールドワークに行きました。福島市のセンターから出発し、川俣町を通って避難区域になっている飯舘村へ入ると、田畑が手つかずの荒れ放題になった景色に一変。「もう元の田んぼには戻らない」とのお話に、原発被害の深刻さを感じました。南相馬市に入って、津波被害のあった沿岸部と、津波は免れた市街地を見学。市街地は建物は残っているものの、昨年4月に避難解除されるまでは誰も入れず、いまだに町はひっそりとしていました。

夕方には、毎週金曜日に福島駅前でおこなわれている、原発ゼロを目指す「金曜行動」に参加しました。ボランティアに来ていた全国の青年も参加して、太鼓やメガホンも使って賑やかに「原発いらない!」「再稼働反対!」などコールしました。行動が始まってから欠かさず参加しているという男性が、この日初めてマイクを握り、「ふるさとを返せ!」と声をあげました。

二日目は、二本松市にある仮設住宅に、支援物資お届けと聞き取りに行きました。100戸の仮設住宅に、浪江町から避難された住民の一部が生活していました。支援物資のお米を持って一戸ずつ訪問し、「生活はどうですか?お困りごとなどありませんか?」と尋ねると、「狭い」「湿気が困る」「防犯が不安」など出される一方で、「特にない」「いっぱい支援してもらっている」と遠慮があったり、「言っても変わらない」とあきらめている声も。実態に寄り添って要求をつかみ、行政や自治体に届ける活動が大事だと感じました。「先行きが見えない」「浪江に帰りたい」「自分たちは忘れられていくんじゃないか」といった声も印象的でした。

参加して特に感じたのは、福島に起きている困難さの多くは、福島原発事故とそれに対する政府・東電の対応のまずさ、行政の復興政策の遅れから来るもので、人間が引き起こしているものだということです。避難地域になっていたところの復興の遅れや、いまも避難区域になっているところの田畑や家屋の荒廃、原発避難民とそれを受け入れた地域住民との軋轢など、「原発さえなければ」「政府や東電がもっとしっかり対応すれば」ということが、あちこちにみられました。

参加した青年からは、「原発による被害がひどい。再稼働は絶対反対です」「政府・東電の責任は大きいと感じた」「問題が山積み。来れなかったメンバーにしっかり伝えないと」など、感想と決意が語られました。