■被災地、宮城県気仙沼市へ
         「こんにちは! きのせあきこです」市政活動NEWS(2012年3月31日号)から


大津市富士見学区自治連合会の被災地支援活動(3/23~26)に参加して



きのせあきこです 富士見学区の被災地支援活動に参加しました。夜行バスで大津から12時間。海岸のゴミ拾いや桜の植樹、仮設住宅の方々のお話を伺うなどの活動です。

「失くしたもの、大きい」 今は前を向いて

 宮城県気仙沼市の離れ島である「大島」は、震災で多くの世帯が家や仕事や家族を矢いました。海岸近くの集落は、ほぼ全壊。がれきの撤去や建物の解体が終わり、集落には建物の基礎だけが残っています。1年が経過し、大島の方々は「失ったものはあまりに大きい。それでも多くの人の支援を受けて、大切なものをもらった。前を向いて動き出した」とおっしゃいます。

震災当初、避難・救助は島民の力で

 大島は、震災時気仙沼市の石油タンクの爆発で山火事になりました。離れ島であるために、消火活動も後手になり、山の火災は広がりました。救援部隊が入ったのは、約1週間後。その間、島民だけで救助や避難をしてしのぎました。普段からの避難訓練が役に立った、という反面、非常食などの備えがあまりにも不足したことが教訓だといいます。国内からの支援より、実際には海外からの食料や水の支援が多かったと振り返っています。事後、地域防災計画に活かすべき教訓をたくさんお聞きしました。

「言葉ひとつ難しい」  津波が島民の関係を変えた

 大島では、小さな島の中で、どの集落でも家族のような関係で生活してきました。しかし津波によって、被災した家と、被災しなかった家とで、その後の生活がガラリと一変。家・仕事・財産・家族を失った人たちの失望は、計り知れません。島民全員が力を合わせて復興へ、という動きの中でも、「被災した家と、しなかった家とでは、以前のような関係でなくなった。言葉ひとつ選ばなければならず、難しい」とおっしゃいます。

復興はこれから。仕事の再建を切望

 大島の生活を支える多くは漁業です。しかし、水揚げの工場や加工場は津波に流されて、ありません。わかめの養殖は、一番短期間に復興できるそうですが、地元の特産である、カキやアワビは養殖で3年かかります。早く施設の再建をしなければ仕事ができず、多くの漁師は、島を出ざるをえません。既に、若手の漁師は対岸の気仙沼市に渡ったそうです。生業の再建へ、国の支援は待ったなしです。

山積するがれきやゴミ問題の解決を

 大島の海岸近くに、広大なゴミ集積所が仮設されました。大島で集められたがれきやゴミが分別され、ここに置かれています。がれきゴミの処分問題は、全国的な課題です。大島の人は、一刻も早い地元の復興を望んでいます。がれき処理も同様です。「本土の人たち(がれき受け入れ自治体)が、嫌がる気持ちは分からなくもないんです。私にも小さい子どもがいるのでね。でも、ここのゴミは放射能被害をほとんど受けていない。なんとか、私たちを助けてほしいんです」。

放射線量基準の見直し急ぎ、がれきの処理を

 全国的な課題である、がれき処理の受け入れは被災地の復興のためには、急務です。しかし課題は多く、がれきの放射線量基準=「1キログラム当たり8000ベクレル」を抜本的に厳しく見直すことや、処理にかかる財政支援も国に求めていかなければなりません。受け入れ自治体の住民の意見も分かれています。住民合意も必須。
 これら課題の解決のため力を尽くします。